2010年8月30日月曜日

二宮先生語録12 現代語訳

12.千里の道を行こうとする者は、まず足の具合を安定させなければならない。
足もとが安定しなければ、数歩でさえも歩けない。
ましてや千里歩いて行くことなど出来はしないのである。
人が事を行うのも同様である。
足もとを安定させなければ、事が成功することはない。
私の国を復興させる方法も同じである。
荒地や負債は恐れるに足らない。
ただ足もとを安定させる事が大事であるだけである。
それでは何を足もとというのであろうか。
分度のことである。
分度が一度決まれば、荒地が開け、負債がなくなり、衰えた国を復興させる事ができるのである。

2010年8月24日火曜日

二宮先生語録11 現代語訳

11.陰と陽とがつりあって万物がうまれる。
人の体も熱だけでもなく、寒だけでもなく、水と火とがつりあってできたのである。
だから水が足らなければ熱が病気になり、火が足りなければ寒が病気になる。
これをご飯を炊くことに例えよう。
水が多すぎればお粥、火が多ければ焦げてしまう。
国家の盛衰もまた同じである。
盛んな時を陽とし、衰える時を陰とする。
盛んなときは徴税がふえて民が苦しみ、衰えるときは徴税が減って君主が苦しむ。
これら両方とも永くは続かない。
だから盛んなときと衰える時の徴税を合わせて平均してその真ん中を取り、分度とするのである。
これで陰と陽とがつりあって、国家が永く安定する基礎となるのである。

2010年8月19日木曜日

二宮先生語録10 現代語訳

10.一万石の国の税収は一万俵これは普通の国の税率である。
政治が次第に衰えると田畑は乱れ、税収は減り8000俵となる。
つまり2000俵がたりない。これは国の病気である。
その病気を治す方法は、儒教の教えの中にある。
儒教の教えの大事なところは、私の方法の中にもある。
私の方法とは、天の限度にしたがって費用を節約し、謹んで分度を守り、余った財産で民を恵み、荒地を開くということである。
民を恵み、荒地を開けば、田畑は整う。田畑が整えば税収はもとに戻るのである。

2010年8月18日水曜日

二宮先生語録9 現代語訳

9.国家の盛衰や貧富は分度を守るか守らないかによる。
分度を守れば富み栄え、分度を守らなければ貧しく衰える。
国家が貧しく衰えると、借金と徴税とで国の費用の不足分を補うようになる。
これは末世によくあることである。
農民が米がほしいならば米の種をまき、麦がほしいならば麦の種をまき、一所懸命耕して、みのりを待って収穫する。
もし冬に麦の種をまくこともせずに、夏になって収穫しようとしたり、夏に米の種をまかずに、秋になって収穫しようとしても、できることではない。
夏に麦を収穫できなかったら、秋に向けて米の種をまくのが良い。
秋に米を収穫できなかったら、次の夏に向けて麦の種をまくのがよい。
そうすれば夏には麦、秋には米を必ず収穫することができる。
国の君主が分度を守らずに国が貧しく衰えたときに、徴税を強めて財政を立て直そうとするのは、種をまかずに収穫しようとすのと同じである。どうして立て直すことができるだろうか。
そのようなときは分度を守り、貧民を恵んで、荒れ地を開くのが良い。
荒れ地を開けば田畑がととのう。田畑が整えば税収がまして国が富み栄える。
衰える国の君主は、そこまで考えが及ばない。民を恵み・荒地を開くことを回り道だと思い、徴税を強めることを近道だと考える。
これは種をまかずに収穫しようとするどころではない。
お米を炊くときになってお米を買いに行くようなものだ。
お米は米屋でできるものではない。農民が一生懸命働いたからできるのである。
税収は自然に増えるものではない。貧民を恵み、荒地を開いたあとに増えるものである。
種をまかずして収穫しようとしたり、お米を炊こうとするときにお米を買たりするのと同じように、これは国の君主の道ではないのである。

2010年8月14日土曜日

二宮先生語録8 現代語訳

8.一万石の国では税収は一万俵である。これは天下の限度である。
これを四つに分け一万俵のうち7500俵を国の費用にあて、その2500俵を貯蓄することは昔の王政の方法である。
もしこの方法を守れば、国の財政は豊かになり、その恵みは民に広がってその国は必ず富み強くなる。
また、貧しくなって窮乏することもない。
ところが、もし10000俵の収入で、11000俵の支出をすれば、贅沢が広がり財政の限度を超えてしまう。
ちょうど大根が傷口から腐敗するように、負債が日々生まれ、田畑は月々に荒れていき、税収は年々減り、ついには税収が半減してしまう。
こうなったときに、食べられるところをつけて大根を切り落とし、その腐敗をとめるように、5000俵を税収の限度と考え、その3750俵を国の費用にあて、その1250俵で借金を返済し、荒れた田を開き、貧しい民を助ければ、税収が元に戻ることも難しくはない。
もし5000俵の収入で、5500俵の支出をすれば、その国は必ず貧弱し、最後には滅亡してしまう。

2010年8月13日金曜日

二宮先生語録7 現代語訳

7.国家が衰退して窮乏する原因はなんであろうか。
限られた財産を無駄に使うからである。
もし無駄に使わなければ、国家は必ず富んで豊かになる。
これを人間の寒暖に例えてみる。寒さに苦しんでいる者は、全身の温さを無駄にしてしまっているのである。
服をきて体を被えば、温かくなる。
ももひきや足袋を履いても同じである。
これらは服が温かいのではない。
全身の温さを無駄にしていないからなのである。
もし服そのものが温かいのであれば、服をしまってあるタンスから火が出るだろう。
しかし火が出た事がないのだから、服そのものが温かいのではないと分かる。
国家においての分度もこれらの服やももひきや足袋と同じようなものである。
国家の衰退を復興させようとする者は、まずは分度をたてるべきである。
分度を一度立てれば分内の財産は、無駄になることはない。
これで衰退した国を復興させることができるようになり、衰退した家を復興させることができるようになるのである。なによりも分度を立てるとよい。
一年には寒い時もあり暑いときもある、日の長さは長い時もあり短いときもある、国には盛んなときもあれば衰えるときもある、家には貧しい時もあれば豊かなときもある、穀物は豊かなときもあれば、実りが少ない時もある。
一年の寒暑や長短を平均すれば、それは春分・秋分のときである。
盛衰や貧富や豊凶を平均すれば、自然の数字となる。
この自然の数字を国家の分度とするのがよい。
これを基礎という。これを守れば国家が衰退し窮乏するということはない。
これが私の道の根本である。

ubuntuとX01SCとの接続

私のパソコンのOSはubuntuなんですが、今やWindowsでできたことがほとんど出来ています。それにWindowsよりも使いやすいし表示が綺麗だし軽いのでメインで使っています。先日日本語入力が改善されてかなり使い勝手が良くなったのですが、今回もまたひとつ便利になりました。Windows MobileのスマートフォンX01SCと接続が出来ました。
synceを使ってここのサイトにすごく丁寧に書かれていることをそっくりそのまま同じ事をしたら接続できました。
これでX01SCの中のファイルを直接編集することができるのでカスタマイズにすごく便利になりました。
またubuntuが使いやすくなりました。ubuntuとsynceを作ってくれた方たちに感謝です。

2010年8月12日木曜日

Google日本語入力『mozc』

私が家ではWindowsからubuntuに乗り換えたのですが、その中で唯一の不満が日本語入力があまり賢くなかったことでした。しかしGoogle日本語入力『mozc』が使えることを知って、このブログを参考にインストールしてみました。文字入力が劇的に改善しました。もはやATOKすら必要ないと感じました。
これでまたubuntuが最強に近づきました。このすばらしいubuntuやmozcを作ってくれた方たちに本当に感謝です。

2010年8月11日水曜日

二宮先生語録6 現代語訳

6.天下には天下の分限があり、一国は一国の分限があり、一郡は一郡の分限があり、一村は一村の分限があり、
一家は一家の分限がある。これは自然のことである。
その分限により費用を定める。これを分度という。
末世のいまは贅沢を求めて、分度を守る人が少なくなった。
もし分度を知っていても、分度を守らなかったら、大国をつくっても費用の不足が生じる。
分度を知らないものなら、なおさらである。
たとえ世界すべてを手に入れたとしても、その費用の不足を補うことはできない。
なぜならば、天には限りがるが贅沢には限りがないからである。
分度は国家において、家屋の基礎のようなものである。
基礎が出来て初めて、家屋を作るべきである。
分度を定めて初めて、国家を経理すべきである。
もし分を守り、度を謹めば、財は日々貯まり、国を富ませ民を安定させることができる。

2010年8月9日月曜日

二宮先生語録5 現代語訳

5.鳥獣は生まれながらに毛羽がはえていて、爪や牙も持っている。
だから雨露をしのげるし、寒暑も防げるし、草木を食べることもできるし、噛み付くこともできる。
それでやっと生活をすることができる。
人はそうではない。
生まれながらに毛羽は無く、また爪や牙もない。
だから衣服がなければ寒暑を防ぐことができない。
住居がなければ、雨露をしのぐことができない。
穀物がなければ、生命を養うことができない。
もし衣・食・住の3つがなければ、生活をすることができない。
建国の祖や中興の祖はそれを哀んで、衣・食・住の道をつくり、布や絹を織って服をつくり、原野を開いて穀物を生産し、竹や木を切って住居を作り、生活ができるようにさせたのだ。
毛羽や爪や牙がなくても、安定して生活ができるものは、建国の祖や中興の祖のおかげなのである。
それでも頑張れば豊かになり楽しめるが、怠ければ貧しくなって苦しむことになる。
人である以上は、一生懸命働かざるを得ないのである。
もしブラブラと怠けて貧乏に苦しむものは、建国の祖や中興の祖にそむいた罪人というべきである。
その罪人は、当然服もなく野宿して草を食べるべきである。
もし服を着て穀物を食べ、住居に住む以上は、建国の祖や中興の祖のおかげであると心得るべきである。
そして一生懸命働いて衣・食・住を安定させるべきである。だから一日たりとも怠けてはいけないのである。

2010年8月4日水曜日

付箋の感動

先日、休みの日に早朝自転車で駅まで行き有料の駐輪場へとめたんですが、そこは無人だったために自分の自転車の特徴を付箋に書いてお金を箱に入れておきました。
そしたら帰りに自転車を取りに行くと、「ご利用ありがとうございました」手書きで書かれた付箋が自転車に貼られていました。これはちょっとした感動でした。小さな付箋のやりとりだけどだけれども心が届いたような気がしました。

二宮先生語録4 現代語訳

4.草木は春に生まれ秋に実り、鳥獣は年に一回出産する。
これは気運の自然な道である。
しかしその生活は、ただ食物を奪うのみである。
大木は横に枝葉を伸ばし、小さい木が伸びることが出来ないことを気にしない。
小さい木は、大木が枯れるのを待って成長する。
鳥獣はお互いに食べ合う。
強いものは、弱いものを食べ、大きいものは、小さいものを食べる。
草木や鳥獣はお互いに奪いあって譲る事はしないのである。
だからただ一身を養うのみである。
人もまた奪って譲らなければ、草木鳥獣と同じである。
天照大神はこれを哀れんで、推譲の道を定めたのである。
すなわち、一粒の米を推し譲ってこれを播けば、百倍の利益が生まれ、一人が推し譲って田を耕せば、数人を養う事が出来る。
推譲があって人道が定まり、国家が安らかになるのである。
推譲の道というものはなんと偉大であろうか。
書に「まことに恭しくよく譲る」とある。
これは堯の徳を褒めたことばである。その書全体の中心は、譲という一字にある。
もし奪の字だったなら、何の聖徳があっただろうか。
人の道で推譲にまさるものはないのである。