2010年9月14日火曜日

二宮先生語録15 現代語訳

15.分を定め度を立てることは、私の道の根本である。
分が定まって度を立てれば、分度外の財産が生じる。
ちょうど井戸をほれば、涌水が尽きることなく出てくるのと同じである。
たとえその財産が、少なくても年々分度外に生じれば、国を復興させ民を安定させることができる。
もし分が定まらず度が立たなければ、もし大国をといえども国の費用は足りなくなる。
そして民からの徴税を強化して補い、ついに国家が衰える。
どこに国の復興があろうか。どこに安民があろうか。
戒めなければならないのである。

2010年9月8日水曜日

二宮先生語録14 現代語訳

14.米を茶碗に盛って、棚の隅に置けば立夏になると自然にあふれる。
これは天地の発生の気を感じ、一粒一粒が生きようとする生気が充満するからである。
しかし立秋になれば自然と生気が減少する。
これは天地の粛殺の気を感じ、一粒一粒が生きようとする生気が消えるからである。
わが安民法と税額が増減する事との関係も同じである。
私の仕法を開始して一村に施したら税額は必ず増える。
これは民が感動して農業を勤めるからである。
この時に、国家の分度が立っていなければ私の仕法は役に立たない。
もし私の仕法を廃止すれば税額が必ず減少する。
これは感動が消え、農業を怠るようになるからである。
私の仕法が、分度を立てることを根本とするのはこの理由からである。

2010年9月2日木曜日

二宮先生語録13 現代語訳

13.堯・舜の政治はやわらかで春風のようだった。
その民は賞せられた者はもちろんのこと、罰せられた者も皆豊かになった。
桀・紂の政治はすさまじいい秋風のようだった。
その民は罰せられた者はもちろん賞せられたものも皆逃げた。
私の方法もまた春風のようである。
だから民は感動し、農業に励むのである。そして租額が増えるのである。
たとえば米が立夏になれば生気が充満して升目が増えるようなものであり、立秋になれば生気が消えて升目が減るようなものである。
だから私の方法を施すには、必ずまず国家の分度を立てるのである。よく心得ておかなければならない。